祝日 12月29日
救世主の御降誕を不思議な星の出現によって知った東の国の三人の博士たちは、その星に導かれるままにエルサレムまで来、ユダヤ国王ヘロデに謁し、「お生まれになったユダヤの王はどこに居られますか」と尋ねた。ヘロデはこの言葉を聞いて大いに驚いたが、早速国中の学者を召し、いにしえの預言によれば、救い主はどこに生まれることになっているかと訊くと、彼等が答えて言うには「ベトレヘムに」との事であったので、ヘロデはその旨を三人の博士に告げ、「もし救い主となる嬰児が発見されたら私にも知らせてほしい、私も拝みに行くから」と言った。しかしこれは本心から出た言葉ではなく、救い主が将来自分の王位を奪いはせぬかという心配から、その所在が知れたらこれを殺して禍を未然に防ぐつもりであったのである。
三人の博士たちはそれからベトレヘムに向かったが、一時見えなくなったあの不思議な星が再び空に現れ、彼等を導く如く先に立って動き、遂にイエズスのおいでになる厩の上に至って留まったから、三人の博士は喜んで中に入り、マリア、ヨゼフと共に在す嬰児を見、之こそ救い主よと、黄金、乳香、没薬を献げて礼拝した。
所がその晩の夢に天使が現れ、ヘロデに邪心ある事を告げ、他の道から帰国させたので、ヘロデは待ちぼうけを喰わされて大いに怒り、兵卒を遣わして無惨にもベトレヘム及びその付近の、二歳以下の男の子を悉く殺させた。それは調べてみてあの不思議な星が現れてから二年以内と解ったからである。勿論全知なる天主は早くもこの事のあることを予期し、天使を以てその前夜ヨゼフに警告、即刻マリアとイエズスを伴いエジプトへ逃れしめ給うたから、救い主の御身には別状はなかったが、福音史家聖マタイは右の嬰児虐殺事件を簡明に報じた後、「かくて預言者エレミアに依りて言われたる事成就せり、曰くラマに声あり、嘆きにして大いなる叫びなりけり、ラケルその子等を嘆き、彼等の亡きに因り、敢えて慰めを容れず」と記している、即ちエレミアが、子を失ったヤコボの妻ラケルの嘆きを以て現した預言が見事適中し、暴君ヘロデに愛する幼子達を殺された母親達もラケルにおさおさ劣らぬ深刻な悲嘆愁傷を敬虔したというのである。
当時の思想では、子供を殺すことは成人を殺すほど思い罪ではないとされていた。しかし自分の利益の為に天使の如く清い幼子の生命を、それも多数犠牲に供して顧みないヘロデの残虐さは実に鬼畜の心と言わざるを得ない。しかも彼のこの残虐性はただこの時のみに限らぬのである。試みにその数例を挙げてみればアウグスト皇帝の助力によりてユダヤ国を征服した時に多数の人を殺戮したのを手始めに、彼は自分の妃を十人も取り替えたが、その最初の王妃ドリスをその子アンチパテルと共に追放し、第二の王妃マリアムネを嫉妬から殺害すると同時に彼女との間に儲けた二子アレクサンデルとアリストブロとを縛り首にし、わが野心を遂げる為姪ベレニケの夫を殺し、神殿の門からローマ帝国の紋章黄金の鷲を没落した四十人の青年を火刑に処し、自分が死去する五日前にも、実子アンチパテルに死刑の宣告を与えるなど、数々の非道を行って少しも悔いる色がなかった。
かようなヘロデが天主の厳しい御罰を免れる筈がない。彼は生きながら体が腐敗し、蛆に喰われて生命をおとした。それに引き換え彼に殺された罪なき嬰児達は救世主イエズス・キリストの御身代わりとなって、清い命を献げたのであるから、今は天国にあって主と永福を楽しみ、聖会は之を栄えある殉教者と仰ぎ、本日全世界に亘って記念し、さまざまの事、わけても無邪気な子供達の上に主の聖寵を願うのにその取り次ぎを求めている。
教訓
我等はたとえ意外な艱難辛苦に逢うことがあっても決して不平を起こしたり呟いたりせず、一切が慈悲深い天父の御摂理であることを信じ、甘んじてその聖旨に従うよう心がけたいものである。
我等はたとえ意外な艱難辛苦に逢うことがあっても決して不平を起こしたり呟いたりせず、一切が慈悲深い天父の御摂理であることを信じ、甘んじてその聖旨に従うよう心がけたいものである。
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