祝日 12月27日
聖ステファノ助祭殉教者
「誠に実に汝等に告ぐ、麦の粒地に落ちて、もし死ざれば唯一つにして止まるも、もし死すれば多くの実を結ぶ」
主のこの聖言は誰よりもまず主御自身に適合する。何となれば、主が十字架上で聖血を流し世の罪を贖い給うたればこそその御功徳を蒙って救霊の恵みに浴洗ものと、聖霊降臨の日に受洗した3000人を始め、その後も続々聖教に帰依する者が出たからである。そしてこれら教会初代の信者達は互いに口で兄弟姉妹と呼び合うばかりでなく、実際同心一致、各自自発的に財産を教会に寄付して共同生活を営み、食糧などは必要に応じて使徒達から配給を受け、何物をも共有として信仰に精励した。されば世人は彼等の友愛の麗しさに感じ入り、自分もその仲間入りがしたいものと、洗礼を受ける者はいよいよ増加する一方であった。
所がかように信徒の殖え行くにつれ、ギリシャ生まれのユダヤ人達が毎日の食糧の分配に漏れたなどと不平をこぼすようになったから、信徒達は向後布教の本務に専念する為、食物の配給その他の雑務をつかさどらせる執事7人を弟子達の中から選ばせ、之に按手して祈り叙階式を行ったが、その筆頭こそ使徒行録に「信仰と聖霊とに充てる者」と称讃してある聖ステファノであったのである。
執事は今で言えば助祭に当たり、右に記した務の外に説教を行い正式の洗礼を授けるなどをもその職分としたが、ステファノは殊にクレネ、アレクサンドリア、シシリア、小アジア出身の、いわゆる分散地のユダヤ人達の会堂で勇敢に布教して、しばしば彼等と議論を闘わせ常に聖霊の御助けにより彼等の蒙をひらき、また奇蹟を行う能力をも与えられて多大の成功を収めた。
それでユダヤ教の祭司たちは彼を蛇蝎の如く忌み嫌い、ある人々を教唆して、彼が天主を冒涜しモーセの教えに背くような事を言ったと訴えさせ、彼を捕らえて衆議所に引き出し、なお人を立てて「この人は、あのナザレトのイエズスがエルサレムの神殿を打ち壊すとか、モーセの律法を変更するとかいっていました」と偽証させ、以て彼を死刑にしようと企てた。
その時ステファノは天使の如く光り輝く顔を挙げて言うよう「諸君は何故心を頑なにしていつまでも聖霊の勧めに背いているのです。諸君の祖先は預言者達を迫害し、諸君の救い主の預言を信ぜず遂に真の天主なるイエズス・キリストを十字架につけて殺してしまった。のみならず諸君は表面モーセの律法を尊重するような振りを見せながら偽善に流れて内実は少しもそれを守っていないではありませんか。私は今明らかに天が開けて天主の右に坐し給う人の子、イエズス・キリストを仰ぎ見て居ります」と。
これを聞くやモーセの律法学者、ユダヤ教の祭司長、長老達は、痛い所を突かれて猛り立ち、恐ろしい冒涜の言葉よと耳を覆い、声高く叫びつつ人々と共に打ちかかり、ステファノを町から追い出して石を投げつけ殺そうとした。しかしステファノは礫の雨を身に浴びながらも、従容として「主イエズスよ、我が霊魂をお受け取り下さい!と祈り、また跪いて大声を挙げ「主よ、彼等はその為す所を知らぬ者でございますから、この罪を彼等に負わせず、赦し給え!」と叫んだかと思うとそのまま息絶えた。これ実に聖霊降臨に由り成立した聖会が出した光栄ある最初の殉教者に他ならなかったのである。
けれどもステファノの生命の犠牲は決して無駄にはならなかった。天主は彼の壮烈な最期をよみして、その臨終の祈りを聴き入れ、豊かな聖寵を降してその時ステファノの死刑に賛成したサウロという青年を改心せしめ給うた。これこそ熱烈な信仰に燃え立ち異邦人に福音を述べ伝え、多くの霊魂を救い、ついにステファノの如く天晴れな殉教致命の栄冠を頂いた大使徒聖パウロであった事を思えば、ステファノの血潮は実に偉大な実を結んだというべきではないか。
さて初殉教者ステファノの遺骸は、敬虔なキリスト信者の手によって懇ろに葬られたが、その後打ち続いた迫害騒ぎに、その墓の所在もいつか忘れられ湮滅した。しかるに416年不思議に再び発見され、且つその時数多の奇蹟が起こったから、皇后オイクドシアは感に堪えず、聖ステファノを称える為その殉教の場所に壮麗な大聖堂を建立寄進された。
教訓
ステファノとは「冠」の意味であるという。彼が聖会最初に致命者として殉教の栄冠を勝ち得たのは、真にその名人を欺かぬと言わねばならぬ。それにつけても我々は殉教致命の栄誉は兎に角、彼の熱烈な信仰に肖り、世の誘惑に打ち克って、せめて永福の冠だけは是非手に入れたいものである。
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