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miércoles, 13 de septiembre de 2017

聖十字架称讃の記念 


祝日9月14日
聖十字架称讃の記念

 
   世人の崇敬をあつめている聖遺物中、わけても貴いのは、主イエズスキリストが全世界の罪の贖いに、御自らを磔け給うた聖十字架ではないだろうか。というのは、これなくしては我等に救霊の恵みも与えられなかったに相違ないからである。されば聖会は之が賛美尊敬の為、聖金曜日の他になお二つの祝日を設けている。それは即ち5月3日の聖十字架発見の記念と、本日の聖十字架賞賛の記念とである。
 聖十字架賞賛の記念は聖会に古くから行われ、キリスト復活祭や昇天祭などと共に大祝日とされていた。殊にこの祭りの盛大に催されたのは、聖主御受難の聖地エルサレムで、当日は聖榮大聖堂に荘厳な儀式が執行され、遠隔の地からも多数の信者が巡礼参加し、イエズスの磔り給うた十字架を称讃すると共に、わが救いを感謝して、聖歌を歌い祈りを献げるのが例年の慣わしとなっていたのである。
 聖十字架称讃の記念が一段と盛んに行われるようになったのは東ローマ帝国ヘラクリオが一度ペルシャ人の手に奪われた聖十字架を取り戻した西暦628年の頃からで、之を更に詳しく説けば614年東ローマ帝国に攻め込んだペルシャ王コスロアスの軍勢は、エルサレムを乗っ取って数多の信者を虐殺し、総主教ザカリアその他を捕虜として凱旋する時、同地の教会が無二の宝物と珍重していた聖十字架をも鹵獲品の一つとして持ち去った。戦いはその後15年も続き、その中にコスロアスも死にヘラクリオが勝利を得て戦いに倦み疲れたペルシャ人と和を講ずることになったが、その条約の中には聖十字架返還の一項も加えられていたのである。
 かくてヘラクリオ皇帝は部下に聖十字架を担わせ、意気揚々とエルサレムに乗り込み之をもとの場所に安置された。伝説によれば皇帝は主の御迹を辿るべく、美麗な衣冠に威儀を正し、自ら聖十字架を担ってカルワリオの丘に登ろうとされたのに、どうした事か一歩も足が進まない。いかに渾身の力を傾けても目に見えぬ縄で縛められた如く更に身動きが出来ない。この思いがけない有り様に、周囲の人々は驚き呆れて、ただあれよあれよと騒ぐ中、総主教ザカリアは何か心に思い当たる事あってか御前に進み出で「昔イエズス・キリストはこの十字架の道を、茨の冠に兵卒の着古した粗末なマントで辿られたものでございました。しかるに陛下は、ただいま結構な御衣に黄金の冠を着しておいでになります。御足の進みかねるのも察する所かような事が主の思し召しに適わぬ為ではございますまいか」と申し上げた。信仰深い皇帝はこれを聞かれるとなるほどと思し召され、それから粗末な衣服にお召し替えの上、また十字架を背に歩み給うた所今度は何の妨げもなく、無事頂上に達せられたとの事である。
 さて聖十字架はこれより前にも増して人々の崇敬を受けるようになったが、今なお二千年の昔と少しも変わらず、すべてのキリスト教徒に信仰の印と仰がれ、悪魔の矢玉を防ぐ盾、罪人の希望を繋ぐ所となっている。
 本日の聖務日祷晩課に誦えられている、ユヴェンチオ・フォルツナトが569年に作詞した、名高いヴェクシラ・レジスという聖歌もまた右のこころを現したものに他ならない。曰く、
 唯一の希望なる聖十字架を崇め奉る。
 願わくはそを称うる今日のよき日に、
 信心深き者は之によりて益々聖寵を恵まれ、
 罪ある者は之によりて赦免を与えられんことを。

教訓

   十字架は昔罪人の刑具として恥辱の印であった。それが主イエズス・キリストの救世の為これに磔り給うた時から却って栄誉の印となった。されば我等も義の為に艱難を受けるような場合、決して絶望の淵に沈んではならぬ。「汝等憂うべけれども、その憂いは変わりて喜びとなるべし」という主の聖言を思い起こし、勇ましく耐え忍ぶべきである。
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