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martes, 31 de octubre de 2017

諸聖人の日



今日の聖人(11月1日)

諸聖人の日

 4世紀、コンスタンティヌス皇帝によってキリスト教がローマの国教となると、教会は各地の殉教者たちを悼み記念するようになった。609年、教皇ボニファティウス4世はローマのパンテオン(神殿)をキリスト教聖堂に建て直し、カタコンベ(殉教者たちの墓)の多くの遺骨をそこに移し、聖なる殉教者たちを記念した。教皇はこの日11月1日を「諸聖人の日」と定めた。
 「諸聖人」は、天国にいるすべての聖なる人の霊魂をさしており、神のもとで人びとのために取りなしており、敬われている。

浦川和三郎司教『祝祭日の説教集』中央出版社、1952年
十一月一 日
(一) 諸聖人の祝日
(1)-今日は諸聖人の祝日であります。聖会の暦をくり拡げてみますと、一月一日から十二月三十一日まで、三百六十五日間、殆んど聖人等の御名を以って埋っているといっても差支えないくらいである。しかし暦に載っている方ばかりが聖人であるかというに、そうではありません。
 天国はそんなに寂しい所でない、聖人の数はそんなに少ないものでない。暦には漏れて居ましても、聖人と尊び崇(あが)めねばならぬ方々は幾億万と挙げて数うべくもないのである。聖ヨハネの黙示録には「誰も数うること能はざる大群衆を見しが・・・白き衣を着し、手には棕櫚の葉を持ちたり」(黙示録六ノ九)と記してあります。即ち洗礼を受けて、神の愛子(あいし)となり、その御前(みまえ)にも人の前にも、立派に身を修め、幸福な死を遂げて天国に昇った方々は、皆聖人である。
 そこでそういう聖人等の為にも祝日があって欲しいものだと云うので、聖会は十一月一日を以ってこれら,無数の聖人等を讃め尊ぶこととしたのであります。我々は是非とも天国に昇りて彼の聖人等の列に加はらなければならぬのですから、特別の熱心を以って今日のこの祝日を祝い、まづ天国とはいかがなる所であるか、次に聖人等はどうしてこの天国に昇られたかということを、静かに考えてみることに致しましょう。
(2)-天国とはいかがなる処であるか ー 天国とは苦しみや禍が一つもなく、かえってあらゆる福楽の充ち溢れている処であります。
 どなたも御存じの通り、この世は涙の谷でございまして、寒さや暑さや、餓え渇きや、病の苦しさ、貧の辛さや等涙を溢(こぼ)さねばならぬことが随分多いものである。然るに天国には暑さもなければ寒さもない、餓渇きを覚えることもなければ、貧に悩む気遣い、病に苦しむ憂いもない。我々の足が一たび天国の門をくぐりますとすべての涙は綺麗に拭き取られる。もう泣くにも及ばぬ、嘆く必要もない。却っていうにいわれぬ幸福を楽しみ、喜びに踊るのである。無上の善にして、最高の美、限りもなく愛すべき天主を眼前に仰視(あおぎみ)その天主を我(わが)有(もの)として、いつまでもいつまでも楽しむとは、実に何という幸福の至りでございましょうか。
「神が之を愛し奉る人々に備え給いしこと、目も之を見ず、耳も之を聞かず、人の意にも上らざりき」(コリント前二ノ九)と聖パウロもいっている位であります。


さらに詳しくはcatholickyokai.com

 カトリック教会の外には絶対に救いがありません

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